最近、Xを眺めていると、AIで生成された画像や動画が本当に増えた。
すごいものも多い。数年前なら「どうやって作ったんだろう」と立ち止まったであろう映像が、今では次から次へと流れてくる。
ところが不思議なことに、たくさん見れば見るほど、一つひとつには驚かなくなってきた。
そんな中で、デザイナーのミヤマさんが公開している生成AIのプロンプトには、ときどき目が止まる。
「あ、これかっこいいな」と思う。
そこで、少し引っかかった。
私はプロンプトを見ているのだろうか。
それとも、「ミヤマさんがこのプロンプトを作った」ということまで含めて見ているのだろうか。
もし後者なら、AIによってあらゆるものが簡単に生成できるようになるほど、逆に「誰が作ったか」の価値は上がっていくのかもしれない。
そんなことを考え始めた。
作者なんて、いらないものもある
ところが最近、まったく逆のことにも気づいた。
居酒屋のポスターだ。
「生ビール290円」
「本日、刺身あります」
「秋の味覚フェア」
街を歩いていると、生成AIを使ったと思われる店頭ポスターや販促物を見かけることが増えた。
そして、これはものすごくAIと相性がいい。
今日使いたい。明日には内容が変わる。目立てばいい。美味しそうならいい。
そこに「誰がデザインしたか」という作者性は、ほとんど必要ない。
有名なアートディレクターが三日かけて95点のポスターを作るより、店長がAIで10分かけて75点のポスターを作れる方が、商売としては合理的な場面がたくさんある。
だとすると、最初に考えた「AI時代には作者性の価値が上がる」という話は、少し単純すぎる。
むしろ起きているのは、二つの方向への分岐なのではないか。
作者なんて誰でもいいものは、猛烈な勢いでコモディティ化していく。
一方で、「この人が作ったものを見たい」という領域では、作者そのものが以前より重要になる。
AIは作者を消すのではなく、作者が必要な場所と、必要ではない場所をはっきり分け始めているのかもしれない。
制作が楽になったのに、仕事は楽になっていない
そう考えると、少し厄介なのが商業クリエイティブだ。
デザイナー、コピーライター、映像制作者、イラストレーター。
彼らの仕事のかなりの部分は、これまで「作れること」に価値があった。
一枚のビジュアルを作る。コピーを何十案も考える。動画を編集する。バリエーションを大量に展開する。
AIは、この「作る」という部分を猛烈な勢いで安くしている。
アドビが2026年5月に実施した調査では、日本のSNSクリエイターの64%がクリエイティブAIを利用していた。利用者の93%は制作スピードの向上に役立つと答えている。一方で、86%は「最終的なクリエイティブ上の判断は常に自分自身に残るべき」と回答した。なお、この調査の「クリエイター」は、デジタルコンテンツを月に複数回公開して収入を得るソーシャルファーストのクリエイターで、従来型のクリエイティブ産業のフルタイム従事者とは区別されている。[1]
AIには作らせる。
でも、最後は自分で決めたい。
この二つが同時に存在している。
海外を見ると、その揺れはもう少し生々しい。
Fast CompanyとAIGAが2026年に1,273人のフリーランスデザイナーを対象に行った調査では、AIはすでに日常の仕事に入り込んでいる一方、価格設定やクライアント対応を含むフリーランス特有の不安が浮かび上がっている。[2]
英国のコピーライターも似ている。
ProCopywritersの2026年調査には573人が回答した。74%が生成AIを仕事で使っている。それなのに、「生成AIを世界から消せるボタンがあったら押す」と答えた人は64%。前年の45%から大きく増えている。さらに43%のフリーランス回答者は、自分は十分な料金を取れていないと感じていた。[3]
使わないわけにはいかない。
でも、歓迎しているわけでもない。
この奇妙な感じは、少し想像できる。
昨日まで5時間かかっていた仕事が、AIを使ったら1時間で終わった。
最初は嬉しい。
ところが見積書を書こうとして、手が止まる。
昨日まで5万円だった仕事を、今日も5万円と書いていいのだろうか。
もちろん、本来は時間ではなく成果に対して払われるべきなのだろう。
その1時間の判断には、10年、20年かけて身につけた技術や経験が入っている。
でも、発注する側から見れば違う景色も見える。
「AIを使ったんですよね」
「そんなに時間かかっていませんよね」
AIを使わなければ、「もっと効率よくできるでしょう」と言われる。
AIを使えば、「簡単に作ったんでしょう」と思われる。
制作は速くなった。
なのに、自分の仕事の値段を説明するのは、むしろ難しくなった。
「私は何に対してお金をもらう人なのか」
そして、もっと気になるのは、これからプロになる人だ。
ベテランなら、こう言えるかもしれない。
AIが300案出しても、どれがいいか判断するのは人間だ。
クライアントの曖昧な要望から本当の問題を見つけるのも人間だ。
最後に「これは違う」と言えるのも人間だ。
たしかにそうだと思う。
では、その判断力をまだ持っていない若手は、どこで身につければいいのだろう。
バナーを何十本も作る。写真を切り抜く。レイアウトを何度も組み直す。コピーを100本書く。
そういう、少し退屈で、単価も高くない仕事を繰り返しながら、いつの間にか「これは違う」が分かるようになっていった。
ところがAIが最初に得意になったのは、まさにそういう仕事でもある。
この問題は、すでに企業側でも意識され始めている。博報堂DYグループが2026年6月に公開したAI活用の対談では、資料作成などをAIが代替するようになるなか、新人育成で重視するポイントが変わり、「問いを立てる力」や、自分なりの意思・ビジョンを持ってクライアントに伝える能力が重要になるという議論が出ている。[4]
それはたぶん正しい。
でも、やはり問いは残る。
AIに任せるべき仕事を人間がやる必要はない。では、人間はどこで「AIに任せるべきではない仕事」が分かる人になるのだろう。
そして調べていて、もう一つ意外だったことがある。
AIによってクリエイターの単価が一斉に崩れている、という単純な証拠は見つからなかった。
ProCopywritersの調査では、英国のフリーランスコピーライターの日当中央値は440ポンド。2年前より10%上昇している。同団体自身も、生成AIの圧力があるなかでの上昇について、コピーライターの役割がより戦略的になっている可能性を示唆している。[5]
日本でも、株式会社日本デザインが2026年1月に、直近3か月以内に有償案件を受託したフリーランス・副業Webデザイナー110人を対象に行った調査では、2024年から2025年にかけて案件単価が「上がった」と答えた人が62.7%、「変わらない」が37.3%、「下がった」は0%だった。サンプルが110人で、同社が運営するデザインスクールによる調査でもあるため、日本のWebデザイナー全体に一般化はできない。それでも「AIの普及=そのまま単価下落」というほど単純ではなさそうだ。[6]
だとすると、みんなが感じているもやもやの正体は、仕事がなくなる恐怖だけではないのかもしれない。
デザイナーなら、デザインを作る人。
コピーライターなら、文章を書く人。
映像制作者なら、映像を作る人。
これまではそう言えた。
ところがAIによって、「作る」「書く」という行為と、そこで生まれる価値が少しずつ切り離され始めた。
能力がなくなったわけではない。
経験のある人ほど、AIが出してきたものを見て「これは違う」が分かる。
100案から一本を選べる。
場合によっては、「今回は作らない方がいい」とまで言える。
むしろ、その能力は以前より重要になっているのかもしれない。
ただ、困ったことが一つある。
「バナー制作 5万円」は見積書に書ける。
「これは違うと分かる能力 5万円」は、なかなか書けない。
AIはクリエイターから仕事を奪っているというより、もっと厄介な問いを突きつけているのかもしれない。
あなたはいったい、何を売っていたのか。
そこで、電通や博報堂を見る
この問題を考えていて、ふと不思議に思った。
もしAIによって広告制作がコモディティ化していくなら、電通や博報堂のような大手広告会社はどうなるのだろう。
意外と、価値を維持するのではないか。
そんな予感があった。
調べてみると、彼ら自身がすでにかなり面白い動きをしていた。
電通は2026年5月、「AI For Growth 3.0」を発表した。生活者理解やブランド、クリエイティビティ、メディアプランニングなどの専門知をAIに組み込み、企業の意思決定や価値創出を支える「マーケティング専門AI」を開発・提供するという。専門AI群「AI For Growth Suite」には、SaaSとして提供されるものも含まれている。[7]
単に「AIでバナーを作れます」という話ではない。
広告会社の中に蓄積されていた調査、企画、戦略、メディアといった実践知そのものを、ソフトウェアとして外へ出そうとしている。
クリエイティブ制作についても同じだ。
電通は2026年4月、「AI For Growth Creative Lines」を始動した。「ブランド」「パフォーマンス」「プロセス変革」を統合し、制作工程にAIを組み込みながら、人のクリエイティビティを深化させる供給体制を掲げている。[8]
つまり電通は、AIによるコモディティ化から逃げようとしているわけではない。
むしろ、
コモディティ化するなら、自分たちでコモディティ化してしまおうとしている。
ようにも見える。
プロの技を、あえて「誰でも使えるもの」にする
博報堂DYグループも似ている。
同グループは以前から「AaaS(Advertising as a Service)」を掲げてきた。広告枠そのものではなく、データ、システム、アルゴリズム、人を組み合わせて広告効果を継続的に高めるという考え方だ。
さらにAI時代になると、クリエイターの専門知そのものをソフトウェアにし始めた。
象徴的なのが「細田AI」だ。
TBWA HAKUHODOのChief Creative Officer、細田高広氏の専門知を取り込んだ「STRATEGY BLOOM CONCEPT」に、2026年3月、ステートメント生成AI機能が追加された。博報堂DYグループは、プロのクリエイターの専門知を学習させたAIをグループ社員が活用し、ブランド戦略を生活者の共感や行動につながるステートメントへ昇華する仕組みとして説明している。[9]
これは考えてみると、なかなか大胆だ。
優れたクリエイターの価値が高いのであれば、普通は囲い込みたくなる。
「あの人にしかできません」と言った方が希少価値は高い。
ところが逆に、その人の思考方法や専門知をAIにして、組織の中で広く使えるようにする。
作者性を守るのではなく、作者の能力をコモディティ化するのである。
価値が消えるのではなく、商品名が変わる
ただし、電通も博報堂DYも、人間を消そうとしているようには見えない。
電通の「AI For Growth Creative Lines」は、制作の各工程にクリエイターの知見と技能を反映する「Creators in the Loop」を掲げている。
博報堂DYホールディングスの西山泰央社長も、2026年の年頭所感で、AIが膨大な知から答えを導く存在なら、人間はその答えに意味を与え、新しい価値を作る存在だ、という考えを示している。[10]
さらに博報堂DYグループのAI活用をめぐる対談では、資料作成などが効率化された先で、プロフェッショナルがクライアントから「うちのAIがこう言っているけど、どう思う」と相談される存在になる、という未来像まで語られている。[4]
ここまで見て、最初に感じた「広告会社までSaaS化して大丈夫なのだろうか」という疑問は少し変わった。
彼らは自分たちの仕事を安売りしているのではなく、価値を置く場所と、その価値の商品名を変えようとしているのではないか。
制作。
調査。
案出し。
シミュレーション。
そうした部分をAIへ渡していく。
その代わりに、人間がやっていることを「戦略」「ブランド」「コンサルティング」「伴走」「意思決定支援」としてパッケージし直す。
個人のクリエイターが「これは違うと分かる能力 5万円」と書けずに悩んでいる横で、大きな会社は、その見えにくい価値にすでに名前を付け、サービスとして売ることができる。
この差は、案外大きいのかもしれない。
でも、なぜ電通ならお金を払えるのか
個人のデザイナーがAIの300案から一本を選んで30万円を請求したら、「選んだだけですよね」と言われるかもしれない。
でも、
「電通がこの戦略を推奨します」
「博報堂がこのブランド設計を提案します」
となると、話は少し違ってくる。
もちろん、実際の契約はそんな単純ではない。
それでも、大手広告会社には長年蓄積してきた知見、データ、顧客との関係、実績、組織、そして何かあったときに責任を引き受ける能力がある。
つまり、そこで売られているものは制作物だけではない。
「誰がそれを良しとしたか」という信用そのものが商品に含まれている。
ここで、最初の「作者性」という話が、少し違う姿で戻ってくる。
作者性は、個人の作家だけの話ではない。
企業にもある。
提供者にもある。
AIによって成果物そのものの品質差が小さくなればなるほど、私たちは成果物の外側にある情報を見始めるのではないか。
誰が作ったのか。
誰が選んだのか。
誰が保証しているのか。
誰が責任を持つのか。
生成物がコモディティ化するほど、提供者のブランドが相対的に重要になるという逆転が起こる可能性がある。
1000個作れるなら、999個を捨てられるか
ここまで考えて、もう一度Xのタイムラインを思い出す。
毎日、大量の画像が生成されている。
おそらく明日はもっと増える。
来年はもっと増える。
AIは疲れない。
100案と言えば100案作るし、1000案と言えば1000案作るだろう。
人間が一生かけても作れない量を、一晩で作れるようになるかもしれない。
そうなったとき、本当に希少なのは「作る能力」なのだろうか。
むしろ、
1000個作れるのに、999個を捨てられる能力
なのではないか。
これは単なる選別ではない。
「これは自分ではない」と言えること。
「売れそうだけど、やらない」と決めること。
「AIはこう提案しているけれど、違う」と戻せること。
そこには審美眼がある。
編集がある。
責任がある。
そしてたぶん、ブランドがある。
ブランドというと、ロゴや広告や知名度のことを思い浮かべがちだけれど、本当はもっと地味なものなのかもしれない。
何を作ってきたか。
そして同じくらい、
何を作らなかったか。
その蓄積が、「この人なら」「この会社なら」という信用になる。
AIは足し算をほとんど無限にした
AIについて語るとき、私たちはどうしても「何ができるようになったか」を数えたくなる。
画像が作れる。
動画が作れる。
音楽が作れる。
コピーが書ける。
企画ができる。
調査ができる。
広告運用までできる。
それは全部、足し算の話だ。
できることが増える。
速くなる。
量が増える。
安くなる。
そして、その足し算はこれからも続くだろう。
だからこそ、少し逆のことを考えてみたくなる。
何でも作れるようになった世界では、作ったものの量では、人も企業も区別できなくなる。
だったら最後に輪郭を作るのは、足したものではないのかもしれない。
何を選ばなかったか。
何を世に出さなかったか。
どこで「違う」と言ったか。
AIによって足し算がほとんど無限になったとき、人間の価値は、案外そんな引き算の側に現れるのではないか。
最初にミヤマさんのプロンプトを見て「かっこいい」と感じたとき、私はプロンプトそのものだけを見ていたのではなかったのかもしれない。
大量に作れる人が、何を選んで私たちの前に置いたのか。
そこを見ていたのだとしたら。
何でも作れる時代には、何を作らないかまで、その人のブランドになるのかもしれない。
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